ごあいさつ

focusing living laboは、フォーカシングをもっと日常で活かすための機会を提供するためのフォーカシング学習プラットフォームです。

「リビング・ラボ」は、市民・生活者が中心となって、実際の「生活空間(living)」のなかで、自分たち自身の生活が新たなサービスの開発やものづくり、社会制度の考案などを行うもので、世界中の自治体で実施されています。

通常は、行政や自治体組織が実施者になることが多いようですが、focusing living laboでは代表の岡村が”音頭”をとって、ご参加の皆さまとフォーカシングを日常でももっと手軽に、柔軟に使うためのノウハウを見つけるために「実験」を行うことを目的としています。

アメリカの哲学者・心理療法家のユージン・T・ジェンドリンは、心理療法の効果研究の知見から、心理療法をうまく利用している人々が自然と行なっていることを「フォーカシング(focusing)」と命名しました。フォーカシングは、心理療法場面で活用するためだけでなく、より多くの人々が日常生活の中でも利用できるよう、誰でもできる手続きとして、その手順が開発されたという経緯があります。

心の健康の保持増進は、現代日本が抱える大きな課題です。いわば「うまく悩むコツ」であるフォーカシングをより多くの方々にとって身近なものになることは、深刻な心理的危機に対する予防につながります。そのためには、生活のなかでフォーカシングを学べる、教育的なアプローチが不可欠です。

巷には、メンタルヘルスの維持やストレスマネジメントのための方法が溢れかえっています。方法はたくさんあるのに、私たちはその方法を学んでも、忘れてしまいます。ただし、身体はいつも私たちのすぐ「身近」に存在しています。私たちが呼吸を”する”のを忘れても、身体は勝手に呼吸をやってくれますし、何か熱いものに手が触れると、私たちは”思わず”手を引っ込めます。このような生理的な側面だけでなく、身体は「文化」を含みもっています。日本の文化で育った人は、人に会うと”つい”おじぎをしてしまいますし、”つい”家に入るときには靴を脱ぎますし、”つい”愛想笑いをしてしまったりします。身体は、その文化のなかで培われた習慣を、忘れずに覚えていてくれて、私たちが意図的に思い出さなくても”思わず”やってしまっているのです。

学んだことを忘れてしまうのは、残念ながら私たちの常ですが、私たちの身体はその「文化」を忘れずに保持してくれます。focusing living laboでは、「フォーカシングを文化にする」ということを目指しています。私たちの生活のなかに、フォーカシングが文化としてどのように馴染んでいくか、あるいは馴染ませていくための方法を、ぜひ一緒に探究していきましょう。

Mission

フォーカシングを「文化」にする

Vision

日常生活のなかで活用できるフォーカシング実践のコツ、身体感覚を大切にするための発想を学ぶための講座やワークショップ、コンテンツ(ブログ記事、ポッドキャスト、動画等)を提供する。

Value

3つの”E”を大切にする


1. Educational : フォーカシングを学んでいく教育プログラムの提供
Focusing living laboは 、いわゆる心理療法やカウンセリングの機会を提供するための「相談機関」ではなく、フォーカシングを学ぶための教育プラットフォームです(実際、開業届は柔道教室やいけばな教室などの諸芸師匠業で出しています)。”therapeutic”なフォーカシングの機会はもちろん大切でさらなる普及が不可欠ですが、予防的な観点から、多くの人に日常場面でフォーカシングに親しんでもらうことが大切だと考えています。実際に水の中に落ちてしまってから泳ぎ方を学ぶのは大変です。なので、悩みの渦中におちいってしまう前に、日頃から「うまく悩むコツ」を教育的に学ぶ機会を提供することを重視しています。

2. Ecological : フォーカシング・プロセスが生じやすい生活空間・環境・社会の提案
もちろん環境への配慮も大切ですが、ここでいう”ecological”は、身体と環境が常に相互作用し続けているというジェンドリンの身体観に由来します。フォーカシングを、個人の中に内在する「能力」としてとらえずに、環境や社会との相互作用のなかで創発するもととしてとらえます。能力主義的に個人にフォーカシングを還元せず、多くの人々がフォーカシングを実践しやすいような生活空間や環境、社会を構想する視点を大事にしています。自分自身の実感を大切にし、身体感覚をリソースとして活用できる「文化」を根付かせるために、日常で活用するためのコツや工夫を提案していきます。

3. Explainable : フォーカシングとはどういうものか、なぜ大切かを説明可能にする

フォーカシングは、まだうまく言葉にならない漠然とした身体感覚である「フェルトセンス」を大切にします。フォーカシングを実践するなかで、時には早急に自分の感覚や考えを言葉で説明したり解釈したりせず、ネガティブ・ケイパビリティによって言葉にならない感覚にとどまり、そこにいることに耐え続けることが求められます。しかし、これはフォーカシング自体が「言葉にならないもの」「説明など不要でただ体験するしかないもの」ということを意味しません。フォーカシングとはどのようなプロセスなのか、なぜ身体感覚を大切にする必要があるのかは「説明可能(explainable)」だと考えています。フォーカシングを大切さを伝えていく以上、説明責任(アカウンタビリティ)とインフォームドコンセントを遵守していきます。これはフォーカシングを愛好する人が、他の誰かに「フォーカシングってこういうもなんだよ」と説明する際に役立つことになり、フォーカシングの普及や広報を考える上でも重要です。

そして、この3つの”E”のvalueを、Experientialな仕方で、Existentialな問いから始めつつ、そしてembodimentを重視しながら進めて参ります。